就労移行支援事業所でMさんというプログラマーに出会った。Mさんはゲームを作る時に協力してくれる絵描きを募集していたので仲良くなった。
(絵を描く仕事)
第一章の冒頭で話した仕事は3年と少しで離職しました。その代わりにB型事業所へ行きましたがついていけず、某、絵を描く仕事に就きました、障害者として・・・。その仕事をし始めてしばらく経ちました。
一般的にアウトサイダー・アートというものがありますが、正規の美術教育を受けていない人や障害者の芸術という事です。しかし私はインサイドなのかアウトサイドなのかどっちだろうと思っていました。そこへMさんが「ハイブリッドでしょう」という明快な答えをくれました。私はなるほどー。と納得しました。
(2024年の夏)
私が障害者雇用で絵を描く仕事に就いて初めての夏を前に精神薬が変わりました。理由は体重が90㎏に達して糖尿病スレスレだったからです。今までに飲んでいた薬は糖尿病では出せない薬でした。そして副作用で太りやすくなるというものでした。新しい薬を飲み始めると食欲が収まりどんどん痩せていきました。一気に82㎏まで落としました。しかしあまりにも急激に痩せたせいで喉がカラカラになり、不眠になり、妄想が酷くなり、幻聴、幻視、錯乱、眩暈、ふらつきが起こりへたり込んでしまいました。その症状はしばらくして落ち着きましたが、薬は前のものに戻しました。血液検査で脂質、糖質が正常値に戻ったからです。
この夏はそれだけではなく、熱中症から胃腸炎になってしまい再び危険な状態をさまよいました。家族にも心配をさせて病院にも付き添ってもらって難を逃れることが出来ました。
統合失調症になってから私は自分の身体がこんなに不安定になるのは発症した時以来でした。大げさなようですが、死を意識しました。その後今までの力任せの絵を続けるのは危険なのだと悟りました。
苦しい思いを経験しました。でもだからこそ今の幸せをかみしめました。ご飯が食べれて物を考える事が出来て、絵を描くための右腕が残っている。
(6本目の指)
ある日母と話していた時の事だが、私が生まれてくる前に6本の指の子供が生まれてくる夢を見たそうだ。それで酷く心配したらしい。それを聞いて私は「6本目の指は筆じゃない?」と言うと母は納得していました。
(宮城県田代島へ)
2024年の秋に会社から10日間の有給を貰いました。1年以内に半分の5日間は消化しないといけないので思い切って東京よりも遠い宮城県にある田代島(通称猫島)へ行く事を決めました。前回の尾道への旅行で宿なしの苦労をしたので今回は宿はもちろん計画を詰めていざ!という意気込みで挑みました。お陰で名古屋から石巻までの乗り換えもスムーズに行き石巻で空いた時間に案内所でパンフレットも入手し2日目のスケジュールも補う事が出来ました。宿も好感触で安くて最高です。一人で東北に来れた事は嬉しい限りです。仙台へ一人で降り立った時は血が騒ぎました。
1日目の夜は食事を頼んでいなかったので駅前の居酒屋に入りました。ビールを頼んで石巻で獲れる蠣に刺身に仙台牛の握りまで頼みお腹いっぱいでハッピーになりました。もちろん美味しいですよ。しかし宿でアクシデントが、電子タバコが充電されない事態になりました。直りませんでした。色々調べてみましたがダメでした。それ以降は紙タバコを吸いますが、調べてる時間寝れなかったのでその日の睡眠時間は2時間になってしまいました。
2日目は予定通り朝早くに石巻のフェリー乗り場へ行き田代島へ向かいました。大泊港では落ち着いた雰囲気の猫が一匹出迎えてくれていました。田代島の猫たちはやはり人慣れしていて逃げないです。でも人に興味がある子もない子もいました。基本目を合わせません。そして顔に傷がある子やケガをしている子もいて驚きました。僕は助ける事が出来ずゴメンね。島で暮らすのは大変そうです。考え込みました。猫神社で猫の幸せを祈りました。
3日目は強風で一部列車が運休していましたが仙石線は動いていたので1時間くらい待って乗車して仙台に着きました。しかし東北新幹線の乗り場の様子がおかしい。強風で運転見合わせ?ヤバい、帰れない。駅前のカフェでミックストーストを食べてアイスコーヒーを飲んでからネットカフェに一旦入り作戦を考えビジネスホテルを何件か回りましたがタバコの吸える部屋はどこも満室。そしてさっきのネットカフェに戻り24時間前払いして1日過ごす事にしました。ネットカフェがあって本当に良かった。夜は3時間くらい眠れて最後の力を使い帰途へと就きました。2泊3日で予定していたのに3泊4日になり、完璧に準備しても電子タバコが壊れる。これを今回の旅行で学びました。